
【妊活骨盤矯正】は、こうして生まれた ──子宮全摘と言われた妻と、3人の子どもの話
【妊活骨盤矯正】は、こうして生まれた
──子宮全摘と言われた妻と、3人の子どもの話
これは、整体師としての理論が生まれるずっと前の話です。
そして、私自身が「妊活」や「子宮」という言葉の重さを、まだ本当の意味では理解していなかった頃の体験でもあります。
医学知識ゼロの自由人だった私
今の妻と結婚する前、私たちは約4年ほど同棲していました。
当時の私は、一度サラリーマンを辞め、少し働いてはバックパック一つで世界を旅する、いわば“自由人”のような生活をしていました。
医学的な知識は、ほぼゼロ。健康についても、「自然に生きればいい」それくらいの感覚しかなかったと思います。
一方で、彼女は看護師でした。付き合い始めた頃から、彼女はすでに将来のこと――子どもを授かることを、真剣に考えていました。
「子宮をすべて取るしかない」
ある日、彼女は医師からこう告げられます。
大きな子宮筋腫が複数あります。
子宮の全摘が必要です。
未婚の女性にとって、この言葉がどれほど重いものだったのか。
正直に言えば、当時の私はその深刻さを本当の意味では理解できていませんでした。
それを理解できるようになったのは、数年後、私がカイロプラクティックの学校に通い、多くの女性の身体と向き合うようになってからです。
私が選んだのは「治療」ではなかった
その頃の私は、病気を複雑に考えることができませんでした。今のように、簡単に医療情報へアクセスできる時代でもありません。
だからこそ、私はとても単純な選択をしました。
- 夜勤をやめてもらう
- 洋食中心の生活をやめ、和食へ戻す
- 休日は山登りやトレッキング、近所の散歩
- 飲み水は山の湧き水(これは私の趣味でした)
「治そう」と思ったわけではありません。
ただ、体にとって負担の少ない生活に戻そうそれだけでした。
今振り返ると、それは治療というよりも体が本来の働きを取り戻しやすい環境を整えただけだったのだと思います。
ある日、突然起きたこと
生活を変えてから、約2年が経った頃のことです。
彼女が突然、トイレで大量出血を起こしました。慌てて病院へ向かいましたが、原因ははっきりしません。
ただ一つ、医師が首をかしげながら告げた言葉があります。
子宮筋腫が……なくなっています。
複数あった大きな子宮筋腫が、消滅していたのです。
その後、産科の医師や医療関係者に話を聞きましたが、現代医療の中で、子宮筋腫が自然に消滅したという話を、私は一度も聞いたことがありません。
そして、3人の子どもに恵まれた
結果として、私たちは3人の子どもに恵まれました。
奇跡だったのかもしれません。偶然だったのかもしれません。医学的に説明できないことなのかもしれません。
私は今でも、「あれが正解だった」と断定するつもりはありません。
ただ一つ、確実に言えることがあります。
体の環境が変わったとき、体は私たちの想像を超える反応を示すことがあるということです。
情報が少なかったから、見えたもの
今振り返って思うのは、あの時代は情報が少なかったからこそ、逆に良かったのかもしれない、ということです。
不安を煽る情報もなく、答えを探して迷子になることもなかった。
冷やさない。固めない。滞らせない。
ただそれだけを、無意識のうちに守っていたのだと思います。
この体験が、今につながっている
この出来事は、後に整体師となった私の身体観の、確かな原点になりました。
子宮は、単独で存在している臓器ではありません。
生活、姿勢、筋肉、内臓、血流、温度。
すべての環境の上に、子宮は成り立っています。
妊活骨盤矯正とは、この原点を、19年の臨床と経験の中で技術として形にしたものです。
最後に
この話は、「こうすれば妊娠できる」という話ではありません。
ただ、体の環境が変わることで、未来が動き出すことがある――その可能性を、私自身が体験した、というだけの話です。
もし今、「もう運命なのかもしれない」と感じているなら。
向き合うべきなのは、運命ではなく、今の体の状態かもしれません。
この体験が、あなたがご自身の体を見つめ直す小さなきっかけになれば幸いです。

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